幕の内弁当

当時を振り返って、今でも忘れられない味が一つある。劇場で食べる幕の内弁当なのだ。鰆の照焼にしても、玉子焼きにしても、つくねやちくわぶから野菜の末までもひたすらおいしい。分量も豊かで食べきれないうちにヂリヂリと開幕ベルが鳴り、何度口惜しい思いをしたことか。
「当り前だろ。吟味した材料を使い、だしも本格、魚も炭で焼き、腕の確かな料理人が目を光らしてこしれえたものよ」
とその道の人に言われてしまった。昔のやり方を守ったら現代では三倍の価格をとってもひきあわないそうだ。
近藤富枝『美しい日本の暮らし』(平凡社)P86-87