久保田万太郎

私は俳人では久保田万太郎が好きで、彼の小説も戯曲も読むけれど、やっぱり俳句に一番ひかれている口である。というのも、万太郎の句、

 短夜のあけゆく水の匂かな

の水の匂いのする大川沿いの町に、同じく袋物商の娘に生まれた私である。やるなら和歌ではなく、俳句の道に進む人間だったろうに、五、六年に一句の成績とは情けない。
万太郎の地縁はこれだけではない。彼は震災後は日暮里の住人で、私は田端で育ったのである。一方、田端には芥川龍之介がいて、万太郎の家とは、朝日(煙草)一本のむうちに着く距離だった。この二人にまつわる心あたたまる話がある。それは句作の筆を絶っていた万太郎に、しきりに復活をすすめたのが龍之介だったというのだ。二人は派は違うが、いってみれば俳句友達ともいえる関係だった。昭和二年五月、万太郎の第一句集『道芝』が出るが、その序文を龍之介が書いた。友情のこもった透明な美しい文章である。そしてその二ヵ月後に彼は自殺する。

近藤富枝『美しい日本の暮らし』(平凡社)P/177-178