久保田万太郎のしみじみとした味わい(1)

久保田万太郎の<b>『春泥|三の酉』</b>(講談社文芸文庫)読了。

久保田万太郎といえば、「新派」というイメージが強いわたしにとって、まさに「新派」が舞台の「春泥」は、入門編としては、ピッタリだったかもしれない。
槌田満文さんによる解説を読むと、この作品にはモデルがいたとされる。

<b>由良は伊井蓉峰、西巻が藤井六輔、田代は二代目瀬戸英一、小倉は梅田重朝、三浦は吉岡啓太郎と見られるが、万太郎はモデルたちをそのまま描くことはせず、独自の創意を加えて人物を動かしている。
自殺した若宮のモデルは人気上昇中だった喜多村門下の花柳章太郎とする説もあるが、好学社版『久保田万太郎全集』第四巻「後記」(昭和21年)で、万太郎は若宮を「わたくしの勝手にこしらへた“人形”」とした上で、久々に読み返してみて初めて、芥川の死が若宮を自殺させるという万太郎の空想を刺激していたことに気づいたと記している。</b>

この「春泥」も、その後に収録されている「三の酉」も、読んでいると、まさに「新派」の芝居を見ているような気分になる。これもまた、久保田万太郎の小説の特徴だと、槌田さんは解説の冒頭で指摘している。