小沢昭一さんを真ん中に思うあれこれ(1)

<A HREF=http://www.on.rim.or.jp/〜kaf/>「A Moveable Feast」</A>のふじたさんに教えていただいたのが、小沢昭一さんの『話にさく花』(文春文庫)。教えていただいたその日に本屋で見つけ、日を置かずに読み始めたのは、この本の中で志ん生師匠十八番の「黄金餅」という落語についての文章が収録されていたからだった。そして、戸板康二先生への追悼文も2つも収録されているというのが、もうひとつの動機だ。
これまで、「日本の放浪芸」やTBSラジオ小沢昭一的こころ」の人で、東京やなぎ句会のメンバー、というイメージだったのだけれど、小沢さんは、新劇の俳優さんなのだということを『話にさく花』を読んで思い出した。というのも、戸板先生への追悼文を読んでいてのことだった。

<b>もう四十何年も前になりましょうか。三越劇場での俳優座の舞台で、小生、はじめていい役をもらって力演して、けれども、これでいいのかどうか自分ではとても不安だった時に、戸板先生の批評が新聞にのり、そこで、「新劇界にも第三の新人が現れた」なんてほめていただいたのです。この時の喜びは終生忘れません。人間、ほめられたことは覚えているもので、特にこの「第三の新人」という言葉がなんとも嬉しく、ありがたく、つよい励みになったのです。(中略)
つまり、幼虫からかえって、まだ抜け殻を尾っぽにつけてもがいていた時に、「第三の新人」というおほめの言葉で、コロンと殻が落ちた気がしたものです。</b> 「悔恨」P196ー197

また、小沢さんが落語好きでもあるということは、何かの折りに目にした記憶はあったのだが、日本の敗戦で海軍兵学校から東京に戻って来た小沢さんの
<b>上野の鈴本が、いちはやく、よしず囲いの寄席を焼跡の瓦礫のなかに復活させましたが、その吹きさらしの寄席に坐って、久しぶりに落語を聴いた時、私としては、平和のなかに自由に生きることの有難さが、ふつふつと心の中に湧いてきたのです。</b>「メメシかった私」P14
という言葉を読んで、なんだかしみじみとした気分になったのだった。
そして、東京やなぎ句会のお仲間である、矢野誠一さんの『落語歳時記』の解説文を読みつつ東京っ子の歯切れのいい口調をそのまま伝える文章に、すっかり魅せられている。