桂枝雀七回忌追善落語会@歌舞伎座

歌舞伎座で落語ってどうなんだろう?と思ったのだけれど、これが、意外にいい感じだった。やっぱり、最近できた多目的ホールと違って、空間そのものに命があるからかなぁ? しかし、売店が全部閉まっていたのにはまいった。外でペットボトルのお茶くらい調達して行けばよかったのだけれど、全部じゃないまでも、売店がまったく開いていないことはないだろうという予想が、見事に外れ。自販機でカップのウーロン茶を買ってしのいだ。
今回はなんといっても米朝師匠がお目当てだったのだけれど、あのゆったりとした語り口がかえって心地良すぎて、一瞬、記憶が飛んでしまった。ネタは「鹿政談」。休憩時間にロビーで、明らかに米朝フリークと思われる方々の会話から察するに、違うネタをやろうかどうしようか迷っておられたということらしい。
小三治さんが「なんで、あたしがここに居るのかがわからない」というテーマ?の長い(といっても、独演会などに比べると、まったくもって短いらしい)マクラの中で、印象的な言葉が2つ。
一つは「落語を、いかにも面白いですよ!とばかりにやるよりも、淡々とやっていながら面白いという方がいい」と思っていて、初めて出会った枝雀さんの落語が、まさにそういう落語だった、という話。これは、先日、正蔵襲名特番のなかで、正蔵さんが「落語研究会で『ねずみ』をやった時に、聞いていてくださった小三治師匠から、なんでそんなつまらない入れ事をするんだ? 落語に真正面からぶつかって行けばいいんだ。お前はそんなことやってちゃダメなんだ、と懇々と叱られたのが、とても嬉しかった」ということを話していたのを思い出した。
もう一つは、枝雀さんも自分も、暗い人間だから、楽屋で会っても部屋の端と端でにっこりうなずくくらいしかしないのだけれど、おかみさんが「小三治さんとご一緒した日は、帰って来てとてもうれしそうでした」と言ってくれたので「ああ、思っていれば言葉に出さなくても通じるんだなぁと思った」という話。
勘三郎さん「願い続けていれば、いつかきっと叶う」に続いて、小三治さんからも「思いつづけていればいつかは通じる」という、勇気が出て来る言葉をいただいた(と勝手に思っている)。
ネタは「一眼国」。小三治さんの落げのところの絶妙な間が、なんともいえず良かった。
そして、ビデオ上映による枝雀さんの「代書屋」。上方ネタなのだということは知っていたのだけれど、枝雀さんの「代書屋」を目の当たりして、いかに東京の噺家さんが影響を受けているか、というのがよくわかった。
今まで、亡くなった名人の音源は、まだまだ聞かずにとっておこうと思って、枝雀さんの落語もほとんど聞かないでいたのだけれど、これは聞いてみないと!という風に気分がシフトした。
今まで枝雀さんという人は、わたしにとっては「なにわの源蔵捕物控」の海坊主の親方だったわけで、あの歌舞伎座いっぱいのお客が、ビデオの落語を見ながら。これだけ一体になって笑えるというのは、すごいなぁ、こんな噺家さんはそうそう出て来ないだろうなぁと、噺家桂枝雀のすごさを思い知らされた一夜だった。