本歌取り

本歌取りは、日本の芸能の本質だ、と『芸のこころ』の最初に、安藤鶴夫と八代目三津五郎が語っている。
たしかに、歌舞伎では、馴染みのあるストーリー=本歌を趣向を凝らして作り変えて行く。能では、短歌が詞章の中にちりばめられているのもうっすらとだが、わかる。
歌舞伎を見ていて「あ、これはあの芝居のあそこを持ってきているな」などとわかると、とても楽しいし、そこから「あ、ここにはそういう意味が隠されているのか?」などと推理して行くのも楽しい。
それにしても、江戸の人たちは、なんと幅広い教養を備えていたことか。説話や伝説といった比較的身近にありそうなものから、能や短歌、俳諧、茶道、花道、漢文などにも通じていたからこそ、歌舞伎や黄表紙、洒落本といった文芸、浮世絵を代表とする美術を楽しめたのだろう。
裕福な商人だけでなく、長屋に住んでいた職人や振り売りの人たちだって、程度の差こそあれ、少なくとも今の私たちよりは、この国の文化について、知識と理解をもっていた、ということがわかる。
芸能を楽しむためには、もっっといろんなことが知りたいものだ。
最近、つくづく、学生時代にもっといろんなことを学んでおけばよかった、と思う。

芸のこころ

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