冷たい雨が夕方近くまで降り続いた。とはいえ、ちょっと前までにくらべると、寒さの質が違うような気がする。
外出のお供は

疑心―隠蔽捜査〈3〉 (新潮文庫)

疑心―隠蔽捜査〈3〉 (新潮文庫)

このシリーズ、つい手が伸びるんだよな…。帰りにキリのいいところまで、とつい駅カフェに寄ってしまった。反省。
夕食後、勉強タイム。お題は能の「熊野」なのだが、
謡曲を読む (朝日選書)

謡曲を読む (朝日選書)

の「熊野を読む」の章で、三島由紀夫歌右衛門さんの依頼で、莟会のための台本を書いた舞踊劇「熊野」のことがいきなり出てくるんだった。三島は「近代能楽集」を書いたあとで、歌右衛門さんからこの仕事を頼まれたわけだが、

さるにても『熊野』という能のストーリーは奇怪である

と、初演の2年後、歌舞伎座での本興行のプログラムに寄せた文章で書いている(初演のプログラムには、こういう意味のことは書かれていなかったという)。そのことはさらに三演目のプログラムにも、三島は書いている。
宗盛は、自分のことを「これは平宗盛にて候」としか言わないし、熊野も母親の病気のことばかりを繰り返しくどくどと語るばかりだ。宗盛はなぜ、熊野を花見に連れて行く、ということにそこまでこだわったのか、読めば読むほどわからなくなる、と三島は指摘する。
近・現代的な視点で見たとき、たしかにこれは謎だよね…。
「熊野・松風は米の飯」と言われるほど、人気曲である「熊野」にこんな謎があるとはね…。
ちなみに、三島は「近代能楽集」で、「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「斑女」の5篇で「種は尽きた」と述べている。が、歌右衛門の「熊野」に付き合わされたことで、三島自身の「熊野」を書くことになった、という。
今日はここまでで終了。