座談会は面白い(1)

小説新潮」9月号の、創刊700号記念企画「業界名物編集長大解雇座談会 文壇オンリー・イエスタデイ」が、非常に面白かった。

出席者は、元「小説新潮」編集長・川野黎子さん、元「小説現代」編集長・大村彦次郎さん、元「オール読物」編集長・豊田健次さんのお三方。司会が坪内祐三さん。
大村さんは、「文壇」三部作を書いていらっしゃる。書店でこの本を見かけたことはあるのだが、手に取ってみたことがなかったので、「小説現代」の編集長だった方とは、この対談を読むまで知らなかった。

次から次へと、興味深くまた、面白いエピソードが飛び出してきて、一気に読んでしまった。
中でも、特に印象的だったエピソードをいくつか挙げておく。

小説新潮」と「オール読物」は、現在は一つのジャンルにくくられるが、当時(昭和20年代)は歴然とした差が、読者にも編集者にもあった。
小説新潮」が、純文学の作家に挿絵入りの小説を書かせるという、いわゆる中間小説という分野を拓くという、明確な方針を持っていた雑誌だった。

小説ばかりがならぶ雑誌でありながら、お色気を上手く配合していたため、警視庁に年に何回か、編集者が呼ばれて注意を受けた。
どんなところがいけないかというと、北原武夫の小説の中の「ムチムチした」という言葉に赤線が引っ張ってあった。
<b>我々と想像力が違うんですよ。警視庁の方は。</b>(大村氏)

<b>松本・司馬のように、横綱は必ず二人いなくてはいけない。五味康祐がいれば柴田錬三郎がいて、舟橋聖一がいれば丹羽文雄がいる。山口瞳には梶山季之五木寛之には野坂昭如田辺聖子には佐藤愛子とか。必ずそういう竜虎相う(手編+博の旁)つと言うのか、並び称されるライバルがいるからこそ業界が華やかになるんじゃないでしょうか。</b>(豊田)
このライバルの並びは、わたしでも思い付く組み合わせもあれば、なるほどそうなんだ、という組み合わせもあって、興味深い。