鰹のことで、金を半分もらうという意味をさとらせる。そういう間接的な表現自体が、いかにも黙阿弥の市井劇らしい味で、この場は「梅雨小袖」という外題どおりの季節の、つゆの晴れ間に、ほととぎすを鳴かせ、すぐ鰹売りが出て、湯がえりの新三に呼びとめられて、鰹をおろしてゆく。新三の家の縁側の小さな盆栽とともに、「目には青葉山ほととぎす初がつお」(山口素堂の句の景物)が舞台に三拍子揃っている趣向までうれしいし、代金を催促するかわりに、鰹売りが新三に「親方置いてきましょうか」と声をかける商人のゆかしい挨拶まで、教えてくれる。
そういう鰹について、長兵絵というさらに新三より一枚役者が上の家主のいった、「鰹は半分もらってゆくよ」は、含蓄の深い名セリフであった。

           戸板康二『すばらしいセリフ』「鰹は半分もらってゆくよ」P.193