清方と紫陽花

雨降りもたまにはいいが、何日も続くと、ちょっとねえ、というのが、わたしの正直な感覚だ。
ただ、しとしと降る雨の中のちょっと陰になった場所に、ひっそりと咲いている紫陽花というのは、風情があっていいなあ、などとも思う。
そんなときに、ちょうど折り良く、鏑木清方の『鏑木清方随筆集』(岩波文庫)の紫陽花にまつわる文章に行き当たった。

清方は雅号を「紫陽花舎(あじさいのや)」という雅号を使っていたくらい、紫陽花が子供の頃から好きだったという。
そこで、「紫陽花舎閑話」という題名の随筆を書いてもいる。それによれば、展覧会などで目にする紫陽花の絵は、あまりいいのが無いと清方は言う。故人が描いたものでは、
<b>抱一のものが花の瑞々しさをよく描き表している。当時、入谷に田川屋という会席茶屋があったが、そこの浴衣に抱一が下絵を描いたのではないかと思うが、
  紫陽花や田の字尽しの濡れ浴衣
という句がある。また、
  紫陽花やびいどろ吹きの椽の先
という句もあるが、あの澄明な硝子を吹いて、それがふくらんだ時の感じをかけて咏んだものと思う。</b>
と、清方は紫陽花について書いている。

20回以上も引越しを重ねたという清方だが、子供の頃、築地明石町の外人住宅などでで紫陽花の生垣を見て
<b>自分も大人になったら、庭に紫陽花の木を植えるのだと空想したりした</b>
のだという。そして、もともとファンだった泉鏡花の小説に紫陽花がよく出てくるので、一層好きになったという。

清方によれば、
<b>この花はその異国的な味いや、清新な感じなどから、日本では何か新しい花のような気がさせられるが、既に『万葉』などにもうたわれていて、文字は味狭藍と書かれている。また支那の白楽天が最初に見つけて紫陽花と命名したとの事であるが、それほどに古い花である。</b>
と、その来歴も記している。
万葉の頃から、日本にあったとは、知らなかった。
最近、なんでもきもののことに結び付けて考えがちだが、紫陽花柄のきものというのは、6月中に着るのが粋なのだそうで、葉だけの紫陽花柄なら、夏の間着てもおかしくないと、遠藤さんの<b>『きものであそぼ』</b>で教えられた。

清方描く紫陽花の花というのを、ぜひ見てみたいものだ。また、紫陽花柄のきものも着てみたいものだ。