真冬に生まれる、真夏のきものの涼やかさ

先日から持ち歩いては読んでいるのが、山下悦子『きもの歳時記』(平凡社ライブラリー)だ。
タイトル通り、きものを巡る十二か月、それぞれにちなんだ話題について、のエッセイ集。それでは、ということで七月から読み始めたのだが、八月の中に、新潟の伝統的な織物で、夏のきもの地である越後上布小千谷縮についての項目があった。
ちょうど読み終えたばかりの、林真理子『着物をめぐる物語』(新潮文庫)の中に、その七「織り姫さま」という、小千谷縮の織り手の老女とその嫁の物語があったのを思い出し、そのつながり具合に、びっくりした。

越後上布小千谷縮は、麻の糸を手作業で紡ぎ(績む=うむという)、それを手織りの機で冬の間に織る布だ。柄は、後から染めるのではなく、柄に合わせて先に糸を染め、それを織り出して行く。
麻の糸は、乾燥するとすぐに切れてしまうため、雪深い真冬の寒さの中でも、行火以外の暖房はいっさい使えないのだそうだ。
また、並大抵ではない集中力が要求される作業のため、夏の間は農作業と家事に追い回される嫁でも、機の前に座る冬の間は、上げ膳据え膳で遇されるのだそうだ。
そんな忍耐をしてまで織る人は、今では数えるほどになり、平均年齢も
70歳を超えているという。

この上布や縮の産地が、なんと、田中角栄のお膝下であり、こしひかりの産地として有名な、新潟県の魚沼地方だったというのは、驚きだった。
今や、農家のお嫁さんたちは、現金収入が簡単に得られるパートに出る方を選び、機織りの講習を受けても仕事にする人は、ほとんどいないのだという。
きものを日常的に着る人が、どんどん減って行った結果、こうした昔ながらの布の需要も減少の一途をたどり、織り手もいなくなっていく。そして、値段が高騰する。それでも、織り手にわたる手間賃は、製品の市場価格に較べるとあまりに安いので、ますます機織りを仕事にする人は育たない。
こんな悪循環を繰り返すうちに、何百年と受け継がれて来た、手仕事が滅んでしまうのは、あまりにもったいない。

呉服屋さんで、越後上布の反物を見せていただいた時に、ちょっと触らせていただいた。見た目はパリっとしっかりしていながら、触れるとしなやかさがあって、真夏にこういう布をまとったら、さぞかし涼し気でいいだろう、と思った。