「時分の花」に出会えた幸せ(1)

掲示板に筆者である藤原さんご本人からお知らせをいただいたのに、うっかり買い逃してしまった6月27日の産経新聞を、やっと某資料室でコピーすることができた。
産経新聞の芸能面の「直言曲言」というコラムで、藤原さんが談春さんの最近の芸について、取り上げていらっしゃるのだ。タイトルは「歯切れのよい語り口に快感」。

生の落語初体験は、上野の鈴本で行われた柳朝師匠の追善興行だったので、小朝さんや一朝さん、勢朝さんといった一門の皆さんの噺を聞いた。その後も、末広亭に何度か足を運んで、花緑さんや小三治さんといった方も体験した。
その中では、機会があればまた、小朝さんはぜひうかがって見たいと思っているし、今話題の「東西落語研鑽会」も行ってみたいとは思っているのだが、なかなかタイミングが合わず、未だ果たせていない。
友人からは「談春さん以外の噺家さんは、聞かないの?」と尋ねられたりもする。

それだけに、こういうことは、ご縁なのかな?と思う。どんなに行きたいと思っても、仕事が終わらず断念することが少なくないわたしにしては、珍しく、談春さんの独演会というと、代休がとれたり、仕事が間に合うように片付いたりするのだ。
そして、続けてうかがっていると「来月も、なんとかしよう」と思う”おまじない”を高座の上から、かけられているような気がする。

初めて談春さんの高座を聞きに出かけたのが、4月の独演会。その時の「紺屋高尾」が、最初の”おまじない”だったかもしれない。
有名な噺だから、あらすじはなんとなく知っていたが、ちゃんと噺として聞くのは初めてだった。あの時の、紺屋の青年の一途さと、それにほだされて、応えた花魁の意気地が、あまりに見事で、噺がおわってもしばし、呆然としてしまった。
5月の独演会は、歌舞伎座千秋楽、幻におわった「かっぽれ」のせいで、伺えなかった。