惜櫟荘が気になった理由

夕食は、ざるうどん、茄子としし唐の味噌炒め、ぬか漬け、梨。
たしか、今年の正月あたりにBS朝日でOAされた「惜櫟荘ものがたり」という番組、録画したまま放置してあったのだが、何の気なしに再生したら、つい見入ってしまった。
熱海にあるこの別荘は、もとは岩波書店の創業者、岩波茂雄の別荘として建てられたもので、岩波自身はもちろん、何人もの作家たちが執筆場所としても愛した屋敷だったという。それを、惜櫟荘の隣に仕事場を構えている佐伯泰英さんが買い取り、修理を施した、というのは、雑誌かなにかで読んで「岩波と佐伯さんとは、両極端な取り合わせだな」と思ったのだった。この解体修理について、佐伯さんは
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という本も執筆しており、実は、刊行から間なしの頃に入手はしたのだが、積ん読に。たまたま留守録予約をしている時に、この件の番組がOAされるというのを見つけて、とりあえずは録画してあったのだが、そのままになってしまっていたのだった。
今回、特に思うところがあった、という訳でもなく、ふとリモコンの再生ボタンを押してみただけなのだが、この惜櫟荘を設計したのが吉田五十八だ、というナレーションにひかれて、そこからはしっかりと見始めた。吉田五十八といえば、戦災で焼けた先代歌舞伎座の復興再建を手がけた建築家で、長唄や美術関係の大御所のお屋敷も、数多く手がけている人だ。うっすらとした”ご縁”がここにもあったから、気になったんだなぁ、とこのナレーションで、腑に落ちたのだった。
佐伯さんが入手したあと、修理をしたというのは、知っていたのだが、ここまで全面的に解体して、元あった通り(エアコンの設備を導入したり、痛んだ箇所については、新しい材料を使って補強したりということはあるが)に組み上げたとは知らなかった。これはまるで、唐招提寺や姫路城の解体修理みたいだなぁ、とびっくり。
国宝クラスの建造物の解体修理と同じように、当時の建築技法や、建材などを調査し、同じように組み立てることで、現在ではめったに使われない技術や材料に触れることは、日本家屋の建築の伝統と技術を後世に伝える、という意味でも、大切なことなんだな、というのを見ていて感じた。
また、第二次大戦前夜の規制が厳しい時代でありながら、そんな中でも、施主である岩波茂雄の理想を、建築家の吉田五十八が現実に作り上げていく、その過程のエピソード、完成した惜櫟荘での岩波のエピソードも興味深いものだった。
とりあえず、佐伯さんの本は、近々読もうと思いたち、積ん読本の山をあさったら、案外あっさりと見つかったのも、何かのご縁なのかもしれない。それと、岩波茂雄吉田五十八についても、もっと知りたいと思っているので、そのへんの本も入手したいと、検索してみたら、岩波茂雄については、比較的入手しやすそうな本が何点か見つかった。

惜櫟荘主人 (講談社文芸文庫)

惜櫟荘主人 (講談社文芸文庫)

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岩波茂雄伝 新装版

岩波茂雄伝 新装版

吉田五十八については、2点ほど。
建築家吉田五十八

建築家吉田五十八

饒舌抄

饒舌抄

ひとまず、図書館で探してみよう。
やっぱり、これも広い意味の”芋づる”だった。