危険な読書

今日も、空はどんよりと曇ったまま、肌寒い一日だった。
昼頃、部屋の下の公園が、にわかに賑やかな雰囲気に包まれた。
鉦や太鼓の音とともに、「ワッショイ! ワッショイ!」の声。どうやら、秋祭りの山車を引っ張ってきて、公園でひと休みということらしい。
子供たちと、付き添いの法被姿のパパ、ママの姿も見える。
せっかくのお祭りなのに、天気がもう一つで、残念だ。

空模様がすっきりしないせいか、出かける気力も起こらず、一日読書とうたた寝で過ごしてしまった。

夕べから読みはじめた、逢坂剛さんの『カディスの赤い星』(講談社文庫)上・下巻が面白くて、一気に読み終えてしまった。
逢坂さんのお名前はもちろん、昔から存じ上げていたし、実は、この作品は数年前から買って持っていたのだが、なかなか読む気持ちになれなかった。
長編を読むには、覚悟と時間の余裕が必要だけれど、どうもそういう風に気分が盛り上がらなかったのだ。ちょうど、3連休ということもあり、ギターづくりの名人とスペインの現代史が絡み合っているというストーリーが、今の気分に合ったということもある。

スペイン現代史については、よく知らないのでどこまでが事実でどこからがフィクションなのかは、判断がつかない。そこに、日本の学生運動や楽器メーカー、広告代理店、PRマンなどが複雑に絡み合って、事件の真相は見えて来そうで見えて来ない。その辺りの展開の妙が、読む者をぐいぐいと物語の世界へと引きずり込んで行く。読み進むうちに、スペインの現代史やスペイン音楽について、もっと知りたくなる。小説の醍醐味のひとつは、こういうところにあると、思う。
一人の作家の作品に惚れ込んで、もっと作品が読みたくなるということは、よくあることだが、作品に描かれた世界をもっと知りたくなるというのも、時折ある。実在の人物を描いた作品や、歴史、芸術、科学技術、医療などの世界を舞台にした、優れた作品を読んだ後に、感じる、それは一種の衝動だ。そして、どちらにも共通するのが、積ん読本がその衝動の結果、またひときわ増えてしまうということだ。
今回はさらに、CDまで増えそうな気配が濃厚にある。危険な本を読んでしまった。