末広亭にただよう懐かしい空気(2)

落語にちょっと興味がある人なら、誰もが知っている志ん生文楽をはじめ、円生、小さん、志ん朝といった昭和から平成にかけての名人はもちろん、明治・大正・昭和初期の名前だけは聞いたことのある名人たちをも、生で聞いている北村さんの口から、その芸と人について、語られる。
もともと、建築業を営んでいたという北村さんだが、戦後、今の末広亭の場所を借り受けてはじめ、その後土地を買収したことで、今日まで寄席を続けることができたという。そうでなければ、とっくにマンションかビルになっていただろう、という北村さんの回顧談に、北村さんとそのお嬢さんの2代目席亭である杉田さんが、相次いで亡くなった時に、存続の危機が訪れたことを思い出す。

北村さんがその人と芸をもっとも愛したのは、「五代目」と親しみを込めて呼ぶ、柳亭左楽師だろう。六代目菊五郎に勝るとも劣らない盛大な葬儀が、新聞紙上をにぎわせたくらい、名実ともに芸界の「元老」だった人だという。
「1 名人」でその名が単独で挙がっているのが、八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、三代目三遊亭金馬の三人。この中でも、北村さんがもっともその芸と人を愛したのが、文楽だろう。芸もすばらしいが、偉ぶったところのない人柄を北村さんは讃える。志ん生については、手こずらされたけど、一方の雄であったことに間違いは無いという。そして、馬生・志ん朝という二人の息子を育てたことだけでも、立派な芸だとも。

他に、落語協会分裂のいきさつや、昭和の芸人さんについての思い出、楽屋裏の話しなども、席亭という位置に座り続けた人でなければ語りえない、貴重な証言がたくさん収録されている。
そんな北村さんが、若手で名前を挙げたのが、志ん朝・談志、そして小朝だ。
志ん朝への物言いは、かわいい孫に向ける温かいまなざしが感じられる。

明治から昭和の寄席を見続けてきた北村さんの、貴重な証言を聞き出し、書物として残してくれた冨田均さんのご苦労に、感謝。
そして、末広亭を満たす懐かしい空気は、北村さんが慈しみ育てたものなんだということを、しみじみと感じた。