積ん読本の素 1

改めて、我が家の本棚を眺めてみる。
読んでいない本が、かなりの範囲を占めている。
というのも、昨秋、引越しの際に、読み終わった小説をまとめて処分したからだ。
書籍を捨てることができないわたしは、書籍と一部の雑誌を新古書店に売った。
引越しが終わり、あらかた荷物も片付いてみると、まだまだ本棚として使っているオープンシェルフには余裕がある。
しかも、これから読む本が、その半分近くを占めているので、当分、本棚のスペースはこれで十分と、思っていた。
昨年暮れに坪内祐三というとんでもない評論家の存在を知ってしまった。
彼が書いた本は、あらかた読んでしまった今、坪内祐三という評論家を、何時の間にか”師匠”と呼んでいるわたしがいる。そこに出てくる本もどんどん読みたくなる。しかも、新刊書店ではとても見つかりそうもない本が、多い。
そこで、秋に本を売った新古書店に通うようになる。そこで、名前だけはしっていた著者の本、気にはなっていたが買わなかった本、まったく著者も書名も知らなかった本を探す。
今のところ、100円の棚をメインで探しているので、10冊買っても1000円+消費税。しかも1000円買うと、次回50円割引のチケットをくれる。
そして余裕綽々だったはずの本棚は、新たな本で埋まっていく。
しかも、これらは読み終えても当分は売りたくない本たちだ。
更に、決して増殖の速度には追いつかないが、少しずつ買ってきた本を読んでいると、そこにまた、新たに読みたい本のタイトル、気になる人名が次々に現れる。
こうして、我が家の積ん読本は、またまた増殖を始め、読まれるのを待っていたはずの本たちは、どうなるんだろう?
読んでもいない本を古書店に売るのは、貧乏性のわたしにはとてもできない相談だから。