「のらくろ」と小林秀雄 2

小林秀雄は、戦後、雑誌「文藝春秋」の随筆のなかで、
「天賦という言葉は、現代では、馬鹿々々しい理由から軽んじられているが、長い期間にわたって、世人を動かす、ああいう『主人公』達を創り出すのには、普通の意味の才能で、事が足りた筈がない。彼らにしてみれば、才能なぞは、あり余っているに違いない。だが、自分勝手に使用出来る才能などでは承知ができないのだろう。本能的な両親に導かれて、自分でもどうにもならぬ天賦のなかで、仕事をするに至るのであろう。めいめいが、自分の天賦のとりことなるのだ」
と、述べているという。
田河氏は生前、漫画家の仕事について、ある時、次のように語ったという。
「漫画なんて、軽薄な娯楽ものだ、と馬鹿にする人は多いが、創る身になってみれば、大変なもんなんだぞ。画家だけの仕事じゃないってことは、わかってるだろう。言葉や、物語を創り出すのは、作家の仕事でなけりゃならないし、絵の構図の工夫や、会話を面白くしようとするためには、劇作家の才能も必要だし、プロデューサーの仕事になる。漫画の本を創るとなると、もっと大変だ。小説家なら、中味の小説だけ書けば、それでいいのだが、漫画家は全部、自分でやらなければならない。装丁、カット、題字、こういうデザイナーのやる仕事も必要なんだ。レタリングもできなきゃならないし、いろんな才能が必要になってくる。大変な仕事なんだ」

読み始めてしばらくは、美しい夫婦愛に満ちたこの本のタイトルが、なぜ『のらくろ ひとりぼっち』なのだろう、と疑問に思っていた。
確かに、「のらくろ」を描き始めた頃の田河氏は、ひとりぼっちと呼ぶに等しい暮らしをしていたようだ。しかし、後に良き伴侶を得、良き弟子にも恵まれ、ひとりぼっちではなかったように思えるからだ。
しかし、今とは違い、漫画をプロダクションで生み出すのではなく、たった一人でほとんど全てをやってのけた田河水泡
のらくろ」は、彼のたった一人の孤独な戦いの中から生まれていたのだということに、思い至った。
そして、その孤独な戦いは、恐らく著者の兄・小林秀雄にも共通していたのではないだろうか?
だからこそ、活躍の場こそ違え、彼らはお互いにわかり合い、励まし合い、そして馬鹿話をかわすことができたのではないだろうか。