平成の”旋毛曲がり”が描く明治の”旋毛曲がり”たち

<A HREF=http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3be9eb04314cb0105a09?aid=p-mittei16105&bibid=02004186&volno=0000>『慶応三年生まれ七人の旋毛曲がり』</A>(マガジンハウス)をいよいよ読了。
もったいないので、少しずつ読んでいた。

最近、坪内師匠自身が”平成の旋毛曲がり”なのではないだろうか?と、思っている。
そうじゃなければ、この七人が同じ年の生まれだということを発端にして、こんな本は書けないだろう。
この七人の文豪に”旋毛曲がり”などという称号を与えられないだろう、と。

これまで、文豪というイメージのみで”旋毛曲がり”などとは思っても見なかった、露伴のこと。
名前だけは知っていたけれど、古くさいというイメージしかなかった紅葉や緑雨。
俳句の人という認識しかなかった子規。
注目を浴びたときに、それに乗り遅れてしまった熊楠と外骨。
紛うかたなき”文豪”であるがゆえに、今更読むのもね、と思っていた漱石

興味を持ってはいたけれど、とっかかりが見つからなかった七人を、坪内師匠は、見事に面白がれるように、その鳥羽口に導いてくださった。
さて、これからどうなるのかな?と思っていたら、残りのページが妙に少ない。
実際、最後までたどりついてみると、誰一人、死を迎えていない。
まだまだ、何かありそうなのに、これで終わりとは、殺生ですよ、と思いつつ、後書きを読む。

すると、
「わたしは飽きてしまったのだ」
「明治という時代を、最初から子細に見ていくと、本当に面白いのは、明治二十年代半ばまでであることがよくわかる」
という言葉が・・・。
それに続く、これで打切りの理由を、まとめると・・・。
明治の半ばにして、この本の主人公のうち、正岡子規尾崎紅葉斎藤緑雨の三人は、命を落としてしまう。
そして、夏目漱石幸田露伴は、大家になってしまって面白みが減る。
あいかわらずやんちゃなのは、宮武外骨南方熊楠の二人だけれど、七人の物語だから、今回はここまで。
ということになる。
「もっとも、気まぐれな私のことだから、いずれ、また、なにくわぬ顔をして再開するかもしれない」

やはり、坪内師匠は立派な”平成の旋毛曲がり”の一人だな、と納得しつつ、その、気まぐれを待つことにしよう。
それまで、わたしも自習してお待ちしてます。