安鶴さんの苦言(2)

「古い伝統の芸について」を読み進むにつれて、当然のことながら、単なる”辛口”ではないということが、わかってくる。安藤さんは、歌舞伎は古いことが生命だとおっしゃる。それも、ただ古ければいいのではなくて、本来、歌舞伎の中にあったはずの”いろいろな古さ”がいいのだと。しかし、そのあるべきはずの”いろいろな古さ”を歌舞伎をはじめとする、伝統の芸が失っていることを憂えていらっしゃる。
それでは、”あたらしい”ものがあるのか? といえば、それも無いとバッサリと切り捨てておられる。安藤さんがこの文章を書かれた時点では、
<b>古くもなければ、あたらしくもない、あいまいなものが、いま、芸とか、芸術とかの世界に、あまりにも多い。。</b>
とおっしゃる。

安藤さんの父上は、義太夫の都太夫さん。当然のことながら、幼い頃から歌舞音曲に親しまれた。そして、都新聞(現在の東京新聞)の記者として、数多くの劇評・演芸評を手掛けられた方だ。
この文の後半で、踊りや音曲への苦言も呈していらっしゃる。その芸の本質を忘れ、規格通りにすることは、ヤボだとかくさいと言って嫌う風潮に対して、
<b>十のものを、十で、三味線を弾いて、それでくさくなく、立派に聞かせることが、芸なのではないか。
十のものを八つにして、それをさらに五つにへらして、ムードでそれをおぎなうことの方が、どのくらいくさいことか、そのことを反省してもらいたい。</b>
と述べておられる。

日本の伝統芸をきちんと後世に伝えたいという、安藤さんの使命感が、敢えて厳しい言葉となって語られたのであろう。ドキっとした冒頭の言葉も、読み進むうちにすっかり腑に落ちた。
安藤さんの著作が、探求書リストの上の方に上がってくるのは、間違いない。