玉川福太郎の浪曲英雄列伝最終回「平手の駆けつけ」@木馬亭


もちろん、ゲストが談春師匠だったから、というのがこの会に出かける大きな原動力ではあったのだけれど、それと同時に、生で浪曲を聴いてみたいなぁと、前から思っていて、秋ににぎわい座でこれまた談志師匠と小沢昭一さんのお導きで、春野百合子さんの浪曲を聴くことができた。で、今回も、談春師匠のお導きで、玉川福太郎さんの浪曲を聴く機会を得たというわけだ。
木馬亭は、その前は何度も通ったことはあるのだけれど、中に入ったのは、今日が初めて。昭和40年代くらいの、映画の二番館ってこんな?という印象(って、どんなんや!)。客席はたぶん150足らず。今日は、1年間続いた会の最終回ということもあって(と、しきりに場内整理をしていたお弟子さんが言っていた)、補助椅子も出る、大入り満員だった。

仲入り

美穂子さんは、終わったら、後ろの方から「この子は、ほんとに上手くなったね」という声があちこちでしていた。ふーん、そうなんですか。若葉マークの人間には、その辺はよくわからない。明るいキャラの方のようで、楽しさは伝わってきた。
続いて、談春師匠なのだが、これが浪曲調に陰マイクで紹介があって、出囃子とかどうするんだろう?と思ったら、紹介を受けた拍手とともに、登場。文都師匠から何人かは、談志師匠のはからいで、木馬亭で前座修行を2年くらいしていたのだそうで「その時の想い出のネタを」という言葉に続いて「婆さんや、倅はでかけたのかえ?」というセリフに「オ、『明烏』だ!」と。これはもう、談春師匠の、紛うかたなき十八番のネタじゃないですか。今日も、太助さんに「あれは、後で仇なすぞ」と言わせる、初心なだけじゃない若旦那・時次郎をたっぷりと。もちろん、町内の札付き二人組の掛け合い漫才のようなやり取りに、しばしば爆笑。で、一夜明けて・・・。今日も太助さんは甘納豆にご執心(笑)。文楽師匠を引き合いに出したりして、ここでも笑いをとっていらした。ところで。アレ? もしかして・・・。でも、問題ないじゃん、と思ったのですけど・・・。
談春師匠の落語が終わると、あちこちから感嘆の声が聞こえて来た。「そうでしょ、そうでしょ」と勝手に独りで悦に入る。
仲入りに、「木馬亭名物、アイスクリームはいかがですか?」と売り声。当初、アイスクリームを食べる気など、さらさらなかったのだけれど、小腹も空いたしちょっと場内が暑いし、ということでついお買い上げ。でも、普通のモナカアイスでしたけど・・・(笑)。
最後は、お待ちかねの玉川福太郎さん登場。入場した時に、粗筋と聞き所が書かれたA3二つ折りの読み物が配られていて、ストーリーはなんとなくわかったつもりでいたのだけれど・・・。登場された福太郎さんが「表でちょっと落語を聞いていて、いやぁ、今日は『平手の駆けつけ』をやるの、やめようかと思ったんですよ。でも、そういう訳にもいかないので」と。「そんなところあったっけ?」ともう一度読み物に目を走らせると、アリャリャ、確かに前半は、「明烏」の導入部と被っているみたいだ。マクラ(浪曲の場合、他の呼び方があるのでしょうか?)が終わると、改めてお辞儀をして、三味線が前弾きを始める。そしてわたしでも知っている「利根の川風 袂に入れて」という文句が歌われる(ここの歌?を外題づけというのだそうだ)。そうかそうか、この曲が素だったんだぁ・・・。

利根の川風 袂に入れて 月に棹さす高瀬舟 人目関の戸たたくは川の 水にせかるる水鶏鶏 恋の八月 大利根月夜 佐原ばやしの音も冴えわたり 葦の葉末に露おくころは 飛ぶや蛍のそこかしこ 潮来あやめの懐かしさ わたしゃ九十九里荒浜そだち というて鰯の子ではない 意地にゃ強いが情に弱い されば天保十二年 抜けば玉散る長脇差 赤い血しぶきしとどに浴びて 飯岡笹川両身内 名題なりける大喧嘩 伝え伝えし水滸伝

いい文句だなぁ・・・と書き写していても思うが、これを福太郎さんが朗々と歌うと、これまたいい。曲師の玉川みね子さんの三味線も、今までに聞いた中では、一番わたしは好きだなぁと思った。太棹をビンビン響かせる骨太の三味線なのかと思っていると、ときに繊細な音使いを聞かせてくれて、福太郎さんとの音のやり取りが面白いなぁと思った。帰りに勢いでCDを買おうかな?と思っていたら、CD売り場は店じまいしてしまったようだった。

今月、新音源の「平手の駆けつけ」が入ったCDが出るのだそうで、それの先行販売をしていたのだった。まぁ、キングレコードなので、山野楽器とかテイト無線あたりに行けば、入手できるのだろうが。
しかし、談志師匠が好きだという、過去の名人は一体どんな芸だったのだろう? 古い人の浪曲もちょっと聞いてみようと思いながら、田原町の駅に向かって歩いたのであった。