お刺身の運命は?

昨日の夜、オフィスの冷蔵庫になぜかお刺身のパックが2つ。ありふれたスーパーの398円のお刺身がポツンと取り残されていた。気がついた職場女子が「お刺身、誰の?」と聞いてみたけれど、その時オフィスに残っていた数人(ほとんど男性)は「え、お刺身?」と驚いていた。
結局、持ち主は判明しないまま、今朝にはお刺身は冷蔵庫から姿を消していた。
一体、誰のだったんだろう? そしてあのお刺身の運命やいかに???

8月はなんだか最近になく、たくさんの本を読んだ。数年ぶりで平松洋子さんにハマったのが、その大きな原動力だった。
以前は、台所道具や食材についての、わりあいストレートなエッセイを書く人だと思っていたのだけれど、新潮文庫の新刊で出た『おもたせ暦』を読んでみたら、「食」をとっかかりにした、短編小説のような味わいの作品だった。そこで遡って文庫で手に入ったものを立て続けに読んでみて、それでは止まらなくなって、そうだ!と思い立ち、去年一部で話題になった『焼き餃子と名画座』も読んだ。

おもたせ暦 (新潮文庫)

おもたせ暦 (新潮文庫)

おいしい日常 (新潮文庫)

おいしい日常 (新潮文庫)

平松洋子の台所 (新潮文庫)

平松洋子の台所 (新潮文庫)

焼き餃子と名画座 わたしの東京 味歩き

焼き餃子と名画座 わたしの東京 味歩き

ここまで来ると、手に入る他の単行本も読みたくなるのだけれど、そろそろ文庫化されるんじゃないかしら?というスケベ心がふつふつと湧いて来て、今の所の最新刊『鰻にでもする?』で、ひとまず打ち止めにしようかな?と思っているところだ。
鰻にでもする?

鰻にでもする?

平松さんの作品を読んでいると、そこに出てくるものが食べたくなるのはもちろんなのだけれど、その語彙の豊富さに、たくさんの刺激を受ける。また、いろんな文学作品からの引用やら蘊蓄やらが、嫌みに感じられないところも、好き。
軽やかだけれど、上っ面や薄っぺらさのない、こんな文章が書けるようになったらいいなぁと、思う。
あ、あと、あんなふうにお酒を飲めたら、楽しいだろうな、とも。