手帖噺②〜ライフログには何を記録しようとしているか?

ライフログとして、何を記録しておきたいのか?と色々な手帖術を試してみながら、考えてきた。

ライフログをやってみよう!と思った時から、手帖ジプシーが始まった。

それは、手帖術の本が毎年たくさんこの世に送り出されてくるからだ。こういうやり方をするのには、○○手帳がいい、と書いてあると、とりあえず、それを買ってきて試してみる。

だいたい、数ヶ月から1年数ヶ月ぐらいはやってみて、またリセットして違うやり方を試してみる。

そんなことを繰り返しているうちに、だんだん、自分が何を記録しておきたいのかということもわかってきた。

そういう試行錯誤の末にわかったのは、

その日に、何を食べ、何をしたか。何を着て、どこへ行って、誰と会って、何をして、何を感じ、何に興味を惹かれ、どんなことを思ったか、 

そういうことが後から簡単に振り返れたらいいな、ということ。

そのために、どんな道具を使って記録するのがいいのか?と考えたときに、手書きの手帖とMaciPhoneのアプリを使ったデジタルの記録をうまく組み合わせることはできないだろうか?ということ。

デジタルのいいところは、自動で行動ログがある程度詳細に取れるし、残した記録は検索で後から探すことがでいるということ。

とはいえ、電源と電波がないことには何もできないし、アプリによっては自分で開始ボタンと終了ボタンを押さないと何も記録されないものも多い。

手書きの手帖のいいところは、書くものと書かれるものさえあれば、記録は残せるというところ。ただ、後からその記録を探せるようにするためには、自分の頭と目で探さないとだめ、というところ。

全てをデジタルで残せないか?と試してみた時期もあったが、劇場やホールではiPhoneの電源をオフにしなくてはならない、電源が確保しきれないことがある、などの障害があったため、全部は無理だな、ということがわかった。

また、手で文字を書くと、記憶に残りやすいのではないか?と感じる出来事もあった。

一見、無駄にも思えるけれど、手書きの手帖とデジタルでの記録をお互いに補完するような形で自分に合った記録方法を編みだそうと、現在、試行錯誤中だ。

 

現在のやり方は、また次回へ。