手帖噺⑤振り返りと限定化
毎日のログをいろんな手帖やツールを使って残せるようになってきた。
Bullet Journalについて、ライダー・キャロルさんの本を読んで、これまでの自分に足りなかったのは、振り返ることと、切り捨てることだ、と言うことを教わった。
もちろん、それまでの様々な手帖術の本にも、振り返りの大事さは書かれていた。
なるほど、と思いながらも、その振り返りということがどういうことなのか、というのがもう一つピンときていなかったのだ。
また、一度はメモしたタスクがその日に終わらせることができなかった時に、振り返りの中で、それが本当に必要かどうか、を判断して先送りするのか、削除するのかを決めることも、振り返りの大切な役割なのだ、ということをキャロルさんの本を読んで、理解することができた。
そして、実際にNOBLE NOTEで1ヶ月半ほど、Bullet Journalをやってみて、特に処理できなかったタスクやメモをどうするかという判断(さらに言うと、作ったコレクションを次のノートに引き継ぐかどうか、と言う判断)することが、際限なくタスクが溜まっていくことを防ぐと同時に、頭の中もリフレッシュする役に立つ、と言うことが実感できた。
システム手帳の1日2ページのリフィルを使うようになると、その日のページに今、このことを書いておこうという方に気を取られて、振り返ることを忘れがちになってしまう。そこで、振り返るためのアクションを作ろうと考えて、見開き1週間のバイブルリフィルを使って、毎日、前日やったことを振り返るための簡単なチェックリストを作ることにした。
そうすれば、少なくとも前の日のリフィルやメモを一通り、ざっとでも見返すことになるだろう。
そして、Workflowyの方も、1日分をコピペしてScrapboxにページを作り、必要なリンクを貼ることにしてみた。
こうすることで、前日に処理できなかったタスクやメモを今日に引き継ぐかどうか、と言うことも考えられるようになってきた、はずだ…。
そして、引き継ぐかどうかという判断だけでなく、何事にも「限定化」するということが大事なんだな、ということを改めて感じさせてくれたのが、Tak.さんの「書くための名前のない技術」シリーズ第3弾、千葉雅也さん編だった。
この対談を読むまで、Workflowyでのフリーライティングやタスクの書き出しは、やめていた。しかし、これを読んで、仕事は生活の中にある、ということばが、ストンと腑に落ちた。
私の場合、いつでもPCやiPhone、iPadが使えるわけではない。
それでも、一定の時間を区切って、その時にやらなければと思っていること、あれをなんとかしたいなということについてのアイデア、調べたいことのとっかかり、そういうことを、頭に浮かんだままに書き出してみる、ということが、次のタスクを始めることに繋がっていくのではないか?と思った。
そこで、敢えてフリーライティングをするために、喫茶店に行ってPCを広げて書き出す、というところを含めて真似してみた。
すると、とりあえず箇条書きでどんどん書き出すということには、気持ち良い感覚があるんだな、ということが実感できた。
手書きとはまた違う、紙面や残りページといった物理的な制約、あとで読めるように綺麗な字で書こうとか、みやすいレイアウトで書こう、といった心理的な枷が外れることで、自分のタイピングが追いつく範囲でどんどん書けるのだ、
見返して、必要ないと判断したものは、Completeで消し込めるが、記録は残る。
順番も簡単に後から入れ替えることができる。
これは、一つの項目として独立させようと思えば、それも簡単な操作でできてしまう。
枷がなくなった分、時間で区切るという「限定化」を儲ければいいというのは、家の外に出て作業をするメリットであるということもわかった。
こうして、またブログを書こうかな、と思うきっかけになったのも、この朝のフリーライティングの影響だ。
今は、外に出かけてやる日もあれば、家でやる日もあるし、朝できる日も、午後になってやる場合もある。
ただ、これをすることで、より、Bullet Journal的な、広い意味での「ノート術」ができるようになってきているのではないか?と考えている。