昨日、書ききれなかった、ちょっとしたこと

昼の部の仲入り前の、雑談タイムでの話題。
よく、「あなたの独演会のお客さんは、他と違う」って言われるんだけどね、違うんだそうですよ。そうそう、橘蓮二さんが「談春さんの会のお客さんは、他の独演会とは違います。花緑さんや昇太さんの会は、客席がみーんなお友達状態ですけど、談春さんのお客さんは、一人の人が多い。しかも、仲入りになっても、ずーっと本を読んでる人とか、煙草を吸いにきても目を合わせない。ましてや、見知らぬお客さんと話をする人もいない。これじゃあ、お客はこれ以上増えません」と言われた。芸人が一匹狼だからって、お客も一匹狼じゃなくていいんだから、お友達をここで作らなくていいから、誰か連れて来るように!と。
橘さんが定義するところの談春さんの会のお客に、モロに該当するわたしは「ウーン」と思った。
でも、落語に行こうよと、誘うのも結構勇気がいるんだよね。せいぜい、いろいろと話をふっているのだが、なかなかノって来ないのだよね、皆様。
しかし、昨日のお客さんの中に、すんごくよく笑う人が何人かいたな。

談春さんちの掲示板に

昨日の、夜の部だけを聞きに来たという人から書き込みがあった。うーん、1/3は賛成。残りはわたしとは違うかな?って感じでしょうか。
賛成なのは、やっぱり大ネタが聞きたいというところ。2席なら、1ネタはそういう期待感のある噺にして欲しかった。まあ、初心者としては、何を聞いてもほとんど初めてのものだから、期待感はあるのだけど。最初に聞いた「紺屋高尾」、その次に聞いた「品川心中」の感動が忘れがたいもので・・・。
ちょっと違うかな?というのは、2席で1時間40分だから、3000円は高いというところ、へっついとか引窓の説明をちゃんとして欲しいというところ。
わたしも初心者だから、わからない言葉とかがあるけれど、それを説明していくところが演出として面白くなるのなら、あるに越したことは無いと思うが、それを説明することで、肝心の本筋の流れが途切れてしまうようだと、つまらないかな?と。まあ、独演会なので持ち時間の制限などはないから、工夫でどうにでもなるのかもしれないけれど、逆に、独演会なのだから、お客もそれなりに努力をするべきでは? 先月の「へっつい幽霊」みたいに「へっついとは何ぞや?というのがわからなければ、よくわからん」という時は、きちんと説明してくださっているわけだし。昨日の引き窓は、別にちゃんとわからなくても、なんとなくはわかるわけで、あそこの件まで行っておいて、引き窓の説明をするのも、どうかな?と思うのだが・・・。そんなことを言い出すと、昼の部の「らくだ」に出てくる“かんかんのう”なんかも説明しなくちゃならなくなるし。
会の性格によって、その辺の使い分けはあって良いかと思う。
お台場寄席や、ちょっとした地元の旦那衆主催みたいな落語会の場合は、はじめてのお客が多いことを前提に、その辺のケアはしていらっしゃることと思うけれど、独演会に足を運ぶという人は、わざわざ談春さんの噺を聞こうと思っているのだから、後で調べるなりすれば良いのでは?
次に、2席で1時間40分、3000円は高いというのは、価値観の相違といえばそれまでだけど、どこにも3席やりますと告知されていないのだし、ご自身が6時の開演には間に合わないことを承知でいらしたのなら、仕方ないのでは?という気がする。またプログラムがなかったというが、あれは、プログラムというよりは、昼夜通しでの公演なので、昼夜通しで聞く人、夜から聞く人への入れ替えにおけるお願い書きがメインであって、そのついでに?今後のスケジュールが書いてあるだけ。したがって、昼夜で通しの客へのお知らせが主たる目的なのだから、数が足りないといって目くじらたてるようなものではないかと・・・。そもそも、いつも独演会にはアンケート用紙しかないわけだし。
夕べは、相当、くしゃみと鼻水がひどかったとお見受けしたので、よくぞやってくださいましたという感じ。まあ、独演会のスケジュールは前々から決まっていたことで、そこに向けて体調管理しろよ!というご意見もあるのでしょうが、この不順な天気だしねえ。わたしとしては、十分、楽しませていただけたので、ノー問題でした。だから、大ネタを!というのも、満足した上での更なるお願いというところかな?
以上、つらつらと思うところを書いてみました。
元ネタ?から読みたいという方は、談春さんちの掲示板に載っていますので、そちらをご参照くだされ。あそこに出て行ってものを言うのは、なんか気が引けるので、自分ちにだけ書いときます。

「積ん読日記」更新

なんだか、大長編になってしまいました。落語のあらすじとかは、省略しようかとも思ったのですが、自分の覚えのために、敢えて書いちゃいました。間違っていたら、ご指摘ください。
あ、色を変えるとか、フォントを変えるとか、工夫をすれば良かったか・・・。
あとで、時間があったらやってみます。

一中節

昨日の「星野屋」の中で、一中節の「紙治」が出て来た。星野屋の旦那が屋形船を仕立てて、お花が川へ飛び込んで来るのを待っている時に、芸者に歌わせていた曲としてだ。
一中節なんて、懐かしい名前を久しぶりで聞いたなあ。

談春さん三昧の贅沢な週末(1)

この週末二日は、歌舞伎と落語。しかも落語は談春さん三昧という贅沢なもの。
土曜日は、歌舞伎座のあと、花緑さんと、談春さんが聞きたくて、雨も結構降っていたので、タクシーを飛ばして、国立劇場演芸場の「花形演芸会」へ。
花緑さんは、ユーミンの「シャングリラ2」を見たというマクラから、なんと「寿限無」。最近、NHK教育テレビの幼児向け番組で寿限無を全部覚えて言うというのがあるそうで、学校落語などでは、よくやっているそうだ。

談春さんのマクラでは、まず、この異常な陽気について。談志師匠のお供で、ハワイに行ったときの話しを面白おかしく。「噺家は、日焼けしてはいけない」というのは、初めて聞いた。歌舞伎の役者さんは、おしろいの乗りが悪くなるから日焼けしないようにする、というのはよく聞くけれど・・・。
それでも海が大好きな談志師匠は、なんだかものすごい格好をして海に入っていくという、その時の格好について。股引をはいて、ニベアを日焼け止めの代わりに、真っ白に塗りたくるというのが、妙に印象的。そりゃあ、17歳の談春さんはいくら薦められても「荷物番ですから、大丈夫です」と断るだろうなあ。

談春さんの噺は『汲みたて』。
似たような噺は、先日NHKの「日本の話芸」で聞いたので「あ、あれかな?」と思っていたら、噺の展開が違ってきた。
近所のちょっと色っぽい音曲の師匠をめぐる、男たちの恋の鞘当(にもなってない?)。師匠と仲間の一人が、いい仲になったらしく抜け駆けで、屋形船で涼みに出ると聞きつけて、みんなで邪魔をしに行こうということになる。それも、鳴り物を持って行って、いいところになったら、それをみんなで打ち鳴らそう!ということ。
ところが、お金がないので、追っかける連中は、なんと猪牙に立錐の余地もないくらいにギューギュー詰めで乗っている。それだけでも、もうおかしいのに、ラッパを持ってきたやつがいて、多分、豆腐屋のラッパだと思うのだが、ドンジャカドンジャカやっている中で、間抜けなラッパが鳴るというのが、ますますおかしい。
こういう、とんでもないことをやらかす連中が、落語では大活躍する。こういう愛すべき奴らが、身近にいたら楽しいだろうな、と思う。

談春さん三昧の贅沢な週末(2)

日曜日は、立川談春独演会を、昼夜通しで。
昼の部のマクラが昨日の国立演芸場のと同じだったので???と思っていると「すみません。実は昨日の午後から風邪をひきまして、くしゃみがとまらないんです」と言う傍から、くしゃみ連発。
噺家が高座でくしゃみをするのは、恥ずかしいことなんですって。だから、花粉症の方とかでも、不思議と高座に上がるとくしゃみは止まるものなんだって言うんですけどね」と話す傍で、くしゃみを抑えようと努力されているようなのだが、これは止まらないでしょう、と思っていたら「ごめんね、2分待っててね」と言って、袖に引っ込む、という波乱の幕開け。

一席目は「星野屋」。お花のもとへ、星野屋の旦那が突然訪ねてくる。「かみさんに、お前のことがバレちゃったから、しばらく来られないけど、当座のお金だから」と言って30両渡そうとする。びっくりしたお花は「本当は、これっきりにしようということなんでしょう?だったら、一緒に死んでくれと言われたほうがいい」と口走ってしまう。すると、旦那は「そうかい、本当に一緒に死んでくれるのかい? いや、実は、本当はもういやになったから、ひとりで死んでしまおうと思っていたんだ。だったら、今夜迎えに来るから」と言って、お花の返事も聞かずに帰ってしまう。
お花は、年老いた母親を遺しては死ねないと訴えるのだけれども、後の祭り。夜中に旦那が迎えに来て、表に引っ張り出される。永代橋の上で、旦那が先に行くよと言い残して、アっという間に橋から飛び込んでしまう。迷いに迷ったお花だけれど、「やっぱり、おっかさんを残しては行けません。ごめんなさい」などと捨てセリフを遺して家に帰る。それが実は、お花の真実を確かめるための、旦那と仲立ちをした男が仕組んだ芝居だったという噺。

お花は、わたしが聞く限り、最初はそんなに不実には思えないのだが、噺が進んでいくに従って、結構したたかかも?というところも見えてくる。
この後、仲入りまえにもう1席うかがえるかな?と期待したら、雑談タイムに。本日のお題は「立川流のとんでもない弟子」。話半分としても、相当すごいな、この人は。
あとは「談春さんの独演会のお客は、他の会と違うらしい」という話題。これが、結構わたしなんぞは当てはまっていて、周りにそういう人もたくさんいるようにお見受けするので、思わず納得。

談春さん三昧の贅沢な週末(3)

仲入り後は、予告通り「らくだ」。
主人公であるはずの“らくだ”は既に死んでいて、周りの人が、故人がいかにひどい奴だったかを語るところが、この噺の特徴だとは、本で読んだりして知っていた。とにかく、力が強いので、腕力で無理を無理でなくしてしまうらくだという男、身近にこんな奴がいなくて良かったと、思う。
ところが、談春さんの「らくだ」を聞いていて「なんだ、最大の見せ場はこっちじゃないの?」と思ったのが、屑屋がらくだの兄貴分にさんざん使われた挙句に仕事があるから勘弁してと頼んでいるのに、無理やりお酒を飲まされて、徐々に変わっていくところ。最初は、怖がっているのだけれど、茶碗酒を3杯、4杯と呷るうちに、どんどん強気になっていき、本音が顔を出す。この、だんだん変わっていくところに、ゾクゾクした。終わったら「勉強しなおして参ります」とおっしゃっていたけれど、十分おもしろくうかがいました、初心者は。はい。

約1時間ほどあって、夜の部。
またまた、くしゃみ。そして「今日は、『化け物使い』はやりません。来月やります。さっきの『らくだ』があんまりひどかったんで、この1時間の間にさらった噺をやります。落語家になって初めてやる噺です」
さらに「道中のところなんか、わかんないので、さっき志らくに電話して聞いちゃいました。そしたら、志らく志ん生師匠のしか知らないよと言って教えてくれたのを覚えました」とのこと。
落語をよくご存知の方は、最初の一節で何が始まるか、すぐにわかったらしいのだけれど、わたしは一体、どんな噺が始まるのか、???だった。

極貧の者しか住んでいない長屋で、乞食坊主の西念が死んでしまった。これ以上無いという汚いなりで、病の床についていたのだが、隣人が見舞いに行ったら「あんころもちが食べたい」とねだる。
病人の言うことだからと、あんころ餅を買ってやると、一人で食べたいから帰ってくれと言う。「普通、俺が金を出したんだから、お一つご一緒にぐらい言うでしょう、まったく」と思いつつ、病人だからしょうがないか、と自分の家に帰るけれど、気になるので節穴から覗く。

談春さん三昧の贅沢な週末(4)

見ていると、あんこを全部食べて、残った餅を隠してあった袋から取り出した金をくるみ始める。一体どうするんだ?と思ったら、その餅を食べ始める。そのうち苦しみ始めたので、隣に駆けつけるが、西念は死んでしまう。
この金を黙って見逃す手は無いと、家主に「知り合いの寺があるから、あたしが弔いを出します」と言って、樽に死体を詰めて、長屋のみんなで寺に運ぶ。その寺へ向かう途中の地名を連ねるのが、志らくさんに電話で教わった道中。さっき電話で聞いたとは思えないくらい、すらすらと淀みなく語るので、びっくり。すると「ね、さっき電話で教わったとは思えないでしょ?!」とご自分からおっしゃる。この辺がいたずら坊主っぽくて、わたしは好きだなーと思う。

着いてみると、荒れ放題のひどい寺で、住職は酔っ払っている。適当にお経もどきをあげてもらった後、火葬のための切符を手に入れて、長屋のみんなにはお引取り願って、一人で樽をかつぎ、桐ヶ谷の焼き場へ。
腹のあたりを生焼けにしてくれ、というとんでもない注文をつけたのは、お腹の中にあるはずの金を拾いやすくするためだ。焼きあがりの時間を見計らってもう一度焼き場へ行くと、骨まで真っ黒になるほど、しっかりと焼きあがっているので、怒りながらも、金を拾うために骨を砕いてしまう。
こうして、得たお金を元手に、目黒の門前であんころ餅屋を始めたのが、名物小金餅の由来、というのが下げ。
酔っ払った住職の、誰が聞いてもあまりに適当なお経やら、長屋のみんなを追っ払うところやら、焼き場で骨を砕くところが、とても面白い。
家に帰ってから、矢野誠一さんの本で確認したら、この噺は、道中の部分が聞かせどころなのだとある。そんなところを、電話で聞いただけでやってしまうというのは、いい悪いは別にして、スゴいなあと、改めて感心した。

続いて、HPで予告されていた「怪談実話」。何が始まるのかと思ったら、談春さんが見聞きした怖い話が、いろいろと。途中で、照明を落とす演出もあったけれど、談春さん自身もおっしゃる通り、これはどうかな?という感じ。一番怖かった話は、誰にも言っちゃダメだし、どこかに書いてもダメとのことだったので、書けないけれど、怖いと同時に「ホホー」と思うような“ちょっといい話”だった。

談春さん三昧の贅沢な週末(5)

「俺の怪談は怖いでしょ?」と最後におっしゃっていたが、サービス精神が旺盛すぎて、わたしには、談春さんの怖い話はあまり怖くなかった(ごめんなさい、でもグーで叩かれてもいいです)。

仲入りをはさんで、最後は「不動坊」。
亭主が遺した借金を肩代わりしてくれるなら、嫁に行ってもいいと、岡惚れしていた女に言われて、すっかり舞い上がってしまった男の噺だ。今夜にも祝言を挙げるといわれて、家を片付ける前に自分が綺麗にならなくちゃ、ということでお風呂屋さんに出かけていく。そこで、夫婦喧嘩の予行演習をするのだが、それを近所の男どもに聞かれてしまう。しかも、みんなの悪口を言ってしまったから、仕返しに祝言の席へ幽霊を出して、破談にしてやろうと、みんなの相談はまとまる。
幽霊役に噺家の弟子という男が呼ばれ、幽霊の格好で引き窓から恨み言を言ってくれと頼む。「衣裳はありますか? 焼酎火の準備は? ドロドロはやってもらえるか?」と聞かれて、衣裳は自前で、焼酎火とドロドロはこっちが用意することになって、役割分担が決まる。ところが、ちんどん屋の男にアルコールを買って来いと言ったのに、アルコールがわからずにあんころ餅を一升瓶に詰めて持ってきてしまったり、ドロドロの太鼓も、他のものを外すと後でくっつけられなくなるからということで、ちんどん屋のまま持ってきてしまう。
いよいよ祝言ということで、噺家の弟子を引き窓から吊るして下ろすと、「焼酎火をお願いします」と言われて、一升瓶の中身をボロ布にかけて火を点けようとしても、中身があんころ餅だから火がつかない。「まあ、無くてもいいです」ということにして、それじゃあ「ドロドロをお願いします」というので、叩けというと、ちんどん屋の陽気な鳴り物がなってしまう。「もういいから、セリフだ」と思たら、決めたセリフを忘れていて、しかも下手っぴいだからちっとも怖くない。
で、見事に作戦は失敗という噺。

よく、江戸は男の街だから、女性は貴重品だとものの本などで読む。「汲みたて」もそうだけれど、江戸の町でおかみさんを持つのが、いかに大変なことか、というのが落語を聴いているとよくわかる。
一人の女をめぐって、大の男どもが右往左往するのが、とてもおかしい。

何はともあれ、楽しい「談春三昧」の週末だった。
来月に持ち越しの「化け物使い」に、ますます期待は高まる。

談春さん三昧の贅沢な週末(5)

「俺の怪談は怖いでしょ?」と最後におっしゃっていたが、サービス精神が旺盛すぎて、わたしには、談春さんの怖い話はあまり怖くなかった(ごめんなさい、でもグーで叩かれてもいいです)。

仲入りをはさんで、最後は「不動坊」。
亭主が遺した借金を肩代わりしてくれるなら、嫁に行ってもいいと、岡惚れしていた女に言われて、すっかり舞い上がってしまった男の噺だ。今夜にも祝言を挙げるといわれて、家を片付ける前に自分が綺麗にならなくちゃ、ということでお風呂屋さんに出かけていく。そこで、夫婦喧嘩の予行演習をするのだが、それを近所の男どもに聞かれてしまう。しかも、みんなの悪口を言ってしまったから、仕返しに祝言の席へ幽霊を出して、破談にしてやろうと、みんなの相談はまとまる。
幽霊役に噺家の弟子という男が呼ばれ、幽霊の格好で引き窓から恨み言を言ってくれと頼む。「衣裳はありますか? 焼酎火の準備は? ドロドロはやってもらえるか?」と聞かれて、衣裳は自前で、焼酎火とドロドロはこっちが用意することになって、役割分担が決まる。ところが、ちんどん屋の男にアルコールを買って来いと言ったのに、アルコールがわからずにあんころ餅を一升瓶に詰めて持ってきてしまったり、ドロドロの太鼓も、他のものを外すと後でくっつけられなくなるからということで、ちんどん屋のまま持ってきてしまう。
いよいよ祝言ということで、噺家の弟子を引き窓から吊るして下ろすと、「焼酎火をお願いします」と言われて、一升瓶の中身をボロ布にかけて火を点けようとしても、中身があんころ餅だから火がつかない。「まあ、無くてもいいです」ということにして、それじゃあ「ドロドロをお願いします」というので、叩けというと、ちんどん屋の陽気な鳴り物がなってしまう。「もういいから、セリフだ」と思たら、決めたセリフを忘れていて、しかも下手っぴいだからちっとも怖くない。
で、見事に作戦は失敗という噺。

よく、江戸は男の街だから、女性は貴重品だとものの本などで読む。「汲みたて」もそうだけれど、江戸の町でおかみさんを持つのが、いかに大変なことか、というのが落語を聴いているとよくわかる。
一人の女をめぐって、大の男どもが右往左往するのが、とてもおかしい。

何はともあれ、楽しい「談春三昧」の週末だった。
来月に持ち越しの「化け物使い」に、ますます期待は高まる。

談春さん三昧の贅沢な週末(4)

見ていると、あんこを全部食べて、残った餅を隠してあった袋から取り出した金をくるみ始める。一体どうするんだ?と思ったら、その餅を食べ始める。そのうち苦しみ始めたので、隣に駆けつけるが、西念は死んでしまう。
この金を黙って見逃す手は無いと、家主に「知り合いの寺があるから、あたしが弔いを出します」と言って、樽に死体を詰めて、長屋のみんなで寺に運ぶ。その寺へ向かう途中の地名を連ねるのが、志らくさんに電話で教わった道中。さっき電話で聞いたとは思えないくらい、すらすらと淀みなく語るので、びっくり。すると「ね、さっき電話で教わったとは思えないでしょ?!」とご自分からおっしゃる。この辺がいたずら坊主っぽくて、わたしは好きだなーと思う。

着いてみると、荒れ放題のひどい寺で、住職は酔っ払っている。適当にお経もどきをあげてもらった後、火葬のための切符を手に入れて、長屋のみんなにはお引取り願って、一人で樽をかつぎ、桐ヶ谷の焼き場へ。
腹のあたりを生焼けにしてくれ、というとんでもない注文をつけたのは、お腹の中にあるはずの金を拾いやすくするためだ。焼きあがりの時間を見計らってもう一度焼き場へ行くと、骨まで真っ黒になるほど、しっかりと焼きあがっているので、怒りながらも、金を拾うために骨を砕いてしまう。
こうして、得たお金を元手に、目黒の門前であんころ餅屋を始めたのが、名物小金餅の由来、というのが下げ。
酔っ払った住職の、誰が聞いてもあまりに適当なお経やら、長屋のみんなを追っ払うところやら、焼き場で骨を砕くところが、とても面白い。
家に帰ってから、矢野誠一さんの本で確認したら、この噺は、道中の部分が聞かせどころなのだとある。そんなところを、電話で聞いただけでやってしまうというのは、いい悪いは別にして、スゴいなあと、改めて感心した。

続いて、HPで予告されていた「怪談実話」。何が始まるのかと思ったら、談春さんが見聞きした怖い話が、いろいろと。途中で、照明を落とす演出もあったけれど、談春さん自身もおっしゃる通り、これはどうかな?という感じ。一番怖かった話は、誰にも言っちゃダメだし、どこかに書いてもダメとのことだったので、書けないけれど、怖いと同時に「ホホー」と思うような“ちょっといい話”だった。

談春さん三昧の贅沢な週末(3)

仲入り後は、予告通り「らくだ」。
主人公であるはずの“らくだ”は既に死んでいて、周りの人が、故人がいかにひどい奴だったかを語るところが、この噺の特徴だとは、本で読んだりして知っていた。とにかく、力が強いので、腕力で無理を無理でなくしてしまうらくだという男、身近にこんな奴がいなくて良かったと、思う。
ところが、談春さんの「らくだ」を聞いていて「なんだ、最大の見せ場はこっちじゃないの?」と思ったのが、屑屋がらくだの兄貴分にさんざん使われた挙句に仕事があるから勘弁してと頼んでいるのに、無理やりお酒を飲まされて、徐々に変わっていくところ。最初は、怖がっているのだけれど、茶碗酒を3杯、4杯と呷るうちに、どんどん強気になっていき、本音が顔を出す。この、だんだん変わっていくところに、ゾクゾクした。終わったら「勉強しなおして参ります」とおっしゃっていたけれど、十分おもしろくうかがいました、初心者は。はい。

約1時間ほどあって、夜の部。
またまた、くしゃみ。そして「今日は、『化け物使い』はやりません。来月やります。さっきの『らくだ』があんまりひどかったんで、この1時間の間にさらった噺をやります。落語家になって初めてやる噺です」
さらに「道中のところなんか、わかんないので、さっき志らくに電話して聞いちゃいました。そしたら、志らく志ん生師匠のしか知らないよと言って教えてくれたのを覚えました」とのこと。
落語をよくご存知の方は、最初の一節で何が始まるか、すぐにわかったらしいのだけれど、わたしは一体、どんな噺が始まるのか、???だった。

極貧の者しか住んでいない長屋で、乞食坊主の西念が死んでしまった。これ以上無いという汚いなりで、病の床についていたのだが、隣人が見舞いに行ったら「あんころもちが食べたい」とねだる。
病人の言うことだからと、あんころ餅を買ってやると、一人で食べたいから帰ってくれと言う。「普通、俺が金を出したんだから、お一つご一緒にぐらい言うでしょう、まったく」と思いつつ、病人だからしょうがないか、と自分の家に帰るけれど、気になるので節穴から覗く。

談春さん三昧の贅沢な週末(2)

日曜日は、立川談春独演会を、昼夜通しで。
昼の部のマクラが昨日の国立演芸場のと同じだったので???と思っていると「すみません。実は昨日の午後から風邪をひきまして、くしゃみがとまらないんです」と言う傍から、くしゃみ連発。
噺家が高座でくしゃみをするのは、恥ずかしいことなんですって。だから、花粉症の方とかでも、不思議と高座に上がるとくしゃみは止まるものなんだって言うんですけどね」と話す傍で、くしゃみを抑えようと努力されているようなのだが、これは止まらないでしょう、と思っていたら「ごめんね、2分待っててね」と言って、袖に引っ込む、という波乱の幕開け。

一席目は「星野屋」。お花のもとへ、星野屋の旦那が突然訪ねてくる。「かみさんに、お前のことがバレちゃったから、しばらく来られないけど、当座のお金だから」と言って30両渡そうとする。びっくりしたお花は「本当は、これっきりにしようということなんでしょう?だったら、一緒に死んでくれと言われたほうがいい」と口走ってしまう。すると、旦那は「そうかい、本当に一緒に死んでくれるのかい? いや、実は、本当はもういやになったから、ひとりで死んでしまおうと思っていたんだ。だったら、今夜迎えに来るから」と言って、お花の返事も聞かずに帰ってしまう。
お花は、年老いた母親を遺しては死ねないと訴えるのだけれども、後の祭り。夜中に旦那が迎えに来て、表に引っ張り出される。永代橋の上で、旦那が先に行くよと言い残して、アっという間に橋から飛び込んでしまう。迷いに迷ったお花だけれど、「やっぱり、おっかさんを残しては行けません。ごめんなさい」などと捨てセリフを遺して家に帰る。それが実は、お花の真実を確かめるための、旦那と仲立ちをした男が仕組んだ芝居だったという噺。

お花は、わたしが聞く限り、最初はそんなに不実には思えないのだが、噺が進んでいくに従って、結構したたかかも?というところも見えてくる。
この後、仲入りまえにもう1席うかがえるかな?と期待したら、雑談タイムに。本日のお題は「立川流のとんでもない弟子」。話半分としても、相当すごいな、この人は。
あとは「談春さんの独演会のお客は、他の会と違うらしい」という話題。これが、結構わたしなんぞは当てはまっていて、周りにそういう人もたくさんいるようにお見受けするので、思わず納得。

談春さん三昧の贅沢な週末(1)

この週末二日は、歌舞伎と落語。しかも落語は談春さん三昧という贅沢なもの。
土曜日は、歌舞伎座のあと、花緑さんと、談春さんが聞きたくて、雨も結構降っていたので、タクシーを飛ばして、国立劇場演芸場の「花形演芸会」へ。
花緑さんは、ユーミンの「シャングリラ2」を見たというマクラから、なんと「寿限無」。最近、NHK教育テレビの幼児向け番組で寿限無を全部覚えて言うというのがあるそうで、学校落語などでは、よくやっているそうだ。

談春さんのマクラでは、まず、この異常な陽気について。談志師匠のお供で、ハワイに行ったときの話しを面白おかしく。「噺家は、日焼けしてはいけない」というのは、初めて聞いた。歌舞伎の役者さんは、おしろいの乗りが悪くなるから日焼けしないようにする、というのはよく聞くけれど・・・。
それでも海が大好きな談志師匠は、なんだかものすごい格好をして海に入っていくという、その時の格好について。股引をはいて、ニベアを日焼け止めの代わりに、真っ白に塗りたくるというのが、妙に印象的。そりゃあ、17歳の談春さんはいくら薦められても「荷物番ですから、大丈夫です」と断るだろうなあ。

談春さんの噺は『汲みたて』。
似たような噺は、先日NHKの「日本の話芸」で聞いたので「あ、あれかな?」と思っていたら、噺の展開が違ってきた。
近所のちょっと色っぽい音曲の師匠をめぐる、男たちの恋の鞘当(にもなってない?)。師匠と仲間の一人が、いい仲になったらしく抜け駆けで、屋形船で涼みに出ると聞きつけて、みんなで邪魔をしに行こうということになる。それも、鳴り物を持って行って、いいところになったら、それをみんなで打ち鳴らそう!ということ。
ところが、お金がないので、追っかける連中は、なんと猪牙に立錐の余地もないくらいにギューギュー詰めで乗っている。それだけでも、もうおかしいのに、ラッパを持ってきたやつがいて、多分、豆腐屋のラッパだと思うのだが、ドンジャカドンジャカやっている中で、間抜けなラッパが鳴るというのが、ますますおかしい。
こういう、とんでもないことをやらかす連中が、落語では大活躍する。こういう愛すべき奴らが、身近にいたら楽しいだろうな、と思う。