岡鬼太郎が書いた、寿美蔵と松蔦の「野崎村」

明治から大正にかけて演芸画報に筆をふるっていた岡鬼太郎というすごい劇評家がいた。その人はむろんプロ中のプロで、役者の楽屋に入りこみ、興行の間は楽屋と客席を行ったり来たりしていた人だが大変辛辣な人で毎月当るを幸切りまくっていて少女の頃私は楽しみにして読んでいた。或日「野崎村」の引込みで寿美蔵と松蔦が両花道を揚幕に入った時観客(けんぶつ)の顔が一せいに松蔦の方に向いたことを書き(寿美蔵たるもの以って如何となす)と書いた。寿美蔵は巧い役者だったが、顔も淋しくパッとした人気がなく、又、座頭の左団次は相手役の松蔦を可愛がっていた。意地も悪い評である。無論鬼太郎のような名人のまねをアマチュアがするのはおかしいのだが、プロにもそういう人物がいたことを書いておくのである。
森茉莉『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』P.26-27