STAP細胞論文事件に感じた疑問、違和感は何だったのか?

大宅賞受賞の『捏造の科学者』を読んだ後、残った疑問に応えてくれる本はないものか?という考えが頭の隅にひっかかっていた。密林でオススメされた本はいくつかあったが、何分”土地勘”のない分野なので、不見転で買うのもなぁ、とためらっていた。
ちょうど地元の書店に寄った時に、ノンフィクションの棚を見てみたら、『捏造の科学者』の隣に挿してあったのが

STAP細胞に群がった悪いヤツら

STAP細胞に群がった悪いヤツら

だ。
「そういえば、この本、密林でオススメされてたなぁ」と思い出して、手にとってみた。タイトルだけだとちょっと煽り過ぎ?という気もしないでもない。しかし、直接、STAP論文事件について書いた書籍は、どうやらこの2冊しかないようだし、と思い直して購入した。
月刊「新潮45」の連載がきっかけで、この本ができたとのことだが、確かにそういう匂いがするタイトルだし、切り口と文章だった。

はじめに
プロローグ 前哨戦―それぞれの事情
第1章 インサイダー疑惑としての「STAP論文捏造事件」
第2章 栄光と転落―科学の常識を覆す大発見が大スキャンダルへ
第3章 小保方春子「逆襲会見」の裏側で何が起こっていたのか
第4章 笹井と理研が仕掛ける「山中伸弥追い落とし」の策謀
第5章 理研を蝕む金脈と病巣
第6章 笹井の死で隠蔽される「理研の闇」
第7章 そもそも「STAP細胞論文」とはなにか
エピローグ
あとがき
関連年表

という章立てで(「新潮45」っぽいな、この章のタイトルも)、STAP細胞論文とは何だったのか? なぜこんなことが起きたのか?を追っていく。
わたしが疑問に感じた「この論文をこんな捏造までして発表することで、一体どんなメリットがあったのだろう?」という違和感への答は、第1章で早くも見えてきた。

説明がつかない訳は簡単である。一見科学の世界で起きた事件だが、背景は思いのほか大きく深いのである。「闇」という手垢にまみれた言葉は使いたくないが、科学者たちは全体のスキームの中では、一個の駒に過ぎなかったことは確かである。
P.29

著者によれば、この件の背景には、政官財のさまざまな思惑と、利権が絡み合っていたというのだ。

これは、科学の発展と経済が結びつく事例であり、公共事業に関する予算が削減される中、唯一の聖域として残った科学技術の研究および振興に関する予算の重要性は飛躍的に増大していくことになった。
P.31

という記述で、これまでの公共事業(土木とか建築、原子力などなど?)予算が縮小していく中で、「再生医療」という、明るい未来を予想させる研究には莫大な予算がつく、ということがわかった。
研究者が研究費を確保したい、と思うのは当然だが、それ以外にこの研究が画期的な、医療にも応用できる発見を導き出したとすることで、研究者を取り巻く人の中には、その恩恵に預かろうとする人が、少なからず、いるということだったのか。
そして、臨床試験(治験と臨床試験の違い、というのを今回この本を読んで、初めて知った)の監督官庁厚労省だけではなく、文科省も入っている。必ずしも臨床試験と行った場合、医療分野での応用を目的としないものも含まれるといはいえ、文科省が「橋渡し研究加速ネットワークプログラム」というのを推進している以上、基礎研究から一足飛びに臨床試験に応用することもありえる、となるとなんだか、かなり怖いことのように感じるのだが…。ここにも、省庁間の予算の取り合い、産業化した際の利権争い、という裏事情が絡んでいそうだ。

こうした臨床試験という制度上の盲点と法律の不備をついて、「先端医療」「再生医療」「バイオ工学」「生命科学」などという新しい学問分野を騙る似非科学者たちが、医学の臨床現場と基礎研究の間にポッカリ空いた「フリーゾーン」に、跋扈しているわけである。
P.135

もちろん、上記の分野のすべての研究者が似非科学者だ、と著者が考えているわけでもないのだろう。
わたしなどは、単純な素人だから、「医療」という単語がつくと、研究に携わっているのは医師なのだろう、と思い込んでいたが、STAP細胞論文事件とは何だったのかを知っていくと、必ずしもそうではないのだ、ということが、はっきりわかってきた。
このことを